二人のK林くん


 何故か私の場合、母校であるMヶ丘高校の生徒とバンドを組んだ事ありませんでした。…いや、あるにはあったのですが、練習を2度ほど行なっただけで、結局それっきりになってしまいました。
 その後、母校生とはバンドを組む機会がなく、何故か、あの松本イチ頭の良い高校と言われていたF志高校の生徒と組むことが多かったのですが、そのF志高校には2人のK林くんがいました。

 1人は前にご紹介した「EL&P」を演奏したキーボードプレーヤーのK林くんで、もう1人が、人前で演奏すると必ずギターを壊すギタリストのK林くんでした。

 同じK林くんが2人もいると何とも紛らわしいので、これからキーボードプレーヤーのK林くんを「K林Y」くん、また、ギタリストのK林くんを「K林K」と呼ぶことにします。

 この両K林くんたち、同じF志高校に通っていた同じK林でありながら、全く似通ったところが無い「不思議な2人」でした。
 そりゃ〜、いくら名字が同じだとは言え、性格も体格も、また風貌まで同じだったら、それこそクローン人間のようで、却って気持ち悪いのは解りますが、けれどもこの2人は、まさに反発し合っているほど、全く逆の道を歩んでいました。同じ音楽を演っていながら…。

 K林Yくんは、幼い頃からピアノを習い、前にも書きましたが…県のピアノコンテストで優勝だか準優勝したほどの、言わば音楽界のエリート…で、難解な曲も2回聴けば楽譜に落としてしまうほどの秀才でした。
 また、方やK林Kは、失礼ながら「何でこの人がF志高校に入れたの?」と思うほどの人物で、他人の物を勝手に自分の物にするわ
(これって、ドロボウって言うんですよね?)、不潔だわ、嘘つきだわ…。その上、コーラ中毒というオマケまで付いた輩で、絶対「友達にしたくない(なりたくない)」人物の筆頭にあげられるほどでした。
 ここまで言ってしまうと「誹謗中傷も甚だしい!」と叱られるかも知れませんが、彼を知る者は、たぶん誰もが「同じことを言う」のではないか?…と思います。

 ところが私は、あろう事か、そんなK林Kと友達になってしまったのでした(爆)。

 彼と知り合ったのは、確か私が高校2年生の頃で、F志高校の学園祭で…でした。講堂だったか体育館だったかで演奏していた彼を、当時「一緒にバンドを組もう!」と意気投合したK原くんから紹介されたのでした。K原くんとのバンドは、まさに前頁に記載した「LSD」です。
 この時、珍しくギターを壊さずにステージから下りたK林Kに挨拶すると「観客が少なくギターが壊せなかった…」と不機嫌そうでしたっけ。確かに観客どころか、2〜3人の取り巻きが居ただけでしたから。
 寂しそうな後ろ姿が、何となく気になり
「なかなか良い演奏だったよ♪」
と声を掛けたのですが、これが今にして思えば「いけなかった」ようです(苦笑)。K林Kは、それまでの不機嫌さが嘘のように、ニコニコして近寄り、自宅に来るよう強く勧めるのでした。

 この日(だったかは忘れてしまいましたが)、K林KのアパートをK原くんと共に訪れました。今となっては部屋の雰囲気など全く覚えていませんが、部屋の入口に革靴がいくつもあった…のだけは良く覚えています。

「帰りに好きな靴履いてって良いから」
とK林K。
 横に居たK原くんには

出掛ける時いつもサンダルなのに、帰って来ると革靴を履いてるんだぜ、K林Kは
とささやかれてしまいました。ふ〜む。

 彼の部屋では、まず1本のテープを聴かされました。と言うか、このテープを聴かされた事しか覚えていません(笑)。音源は、当時流行っていたシカゴの「長い夜(だったか)」をライヴで演奏しているものだったのですが、ヘッドフォンで聴かされていると

これ、僕がギター弾いてるんだ!
とK林K。
 音が悪く、しかも聴き慣れない演奏だったので、ついつい

スゲ〜じゃん!
と本気にしてしまいましたが、じつはコレも彼の口から出た出任せ
(嘘!)で、音源はシカゴの海賊版だったのです。勿論、ギターを弾いていたのは、あのテリー・キャスでした。

 銭湯や、その帰り道でもK林Kとは何度か出っ食わしましたっけ。彼とは案外住処が近かったので、同じ銭湯に通っていたようです。とは言え、K林Kの風呂嫌いは仲間内では有名で、時には1ヶ月近くも風呂に入らない事があったようで、風呂帰りに遭遇したのは、私くらいではないでしょうか?
 風呂から上がったばかり…だと言うのに、大風邪をひいたかのように鼻水を垂らし、コーラ中毒を抑制する薬を「これ飲まないとね」などと言いながら、コーラと一緒に喉に流し込む姿は、当時付き合った音楽仲間のうちでも「群を抜いて怪しい人物」でした。

 さて、K林Kの話はこれくらいにして、K林Yくんの話に移りましょう。

 K林Yくんは、上にも述べたように、松本のクラシック界ではエリート路線をひた走っていたにもかかわらず、ロックも好んで演奏する特異稀な人物でしたから、そんな彼に、興味を持たない私ではありません。
 以前「高校入学」の頁にも書きましたが、いくらクラシックに近いとは言え、エマーソン・レイク&パーマーの展覧会の絵を演奏してしまっていた彼を見た瞬間から、私はどうやらK林Yくんの虜になってしまっていたようです。
 あれから1年以上、なかなか声掛けするきっかけがつかめず、ただ悪戯に月日が流れてしまっていました。しかし、どうしても「一緒に1度で良いから演奏したい」と思い悩んだあげく、とうとう私は、ある日、意を決してK林Yくんに「一緒に演らない?」と誘ったのでした。結果はどうだったかと言うと、いともあっさり

良いよ♪
の一言でした。
 あ〜こんな事だったら、もっと早く声を掛けるんだった〜!

 そこで出来たバンドが、バンド名があったかどうかも忘れてしまいましたが、メンバーは、ヴォーカル&ギターがO勝くん、キーボードがK林Yくん、ベースがK添さん、そしてドラムが私…といった夢のようなバンドだったのです。
 なぜ「夢のようなバンド」だったのか?と言えば、当時、流行の最先端のバンドだった「ディープパープル」をコピーできそうなバンドだったからに他ありません。私は別にして、他のメンバーには、その力量があったればこそです。

 練習は何処ぞ(井川城だったか?)の小さな公民館だか集会場を借りて、2〜3度ほど行い、そのまま人前で演奏してしまいました。その会場となったのは、前に「生バンド演奏」の項で紹介したスナック「花ことば」で、お客さんは少なかったものの、私は、演奏できる喜びに酔っていました。
 その日の演奏曲は、初めて聴いた時から「いつか必ず演ってみたい!」と思っていたディープパープル(Deep Purple)の「Lazy」と、あのビートルズ(Beatles)の「Don't Let Me Down」等々で、約40〜50分ほどの簡単な身内コンサートでした。

 ディープパープル…それは当時、高校生だった私にとって、ツェッペリン、ブラックサバス、サンタナ、さらにジェフベックやオールマン等と並ぶ、まさにロックの登竜門的なバンドでした。68年に発表された「ハッシュ」から聴き始め、中でも70年から相次いで発表された「In Rock」「Fireball」「Machine Head」の3枚は、私にとってロックのバイブルと言っても過言ではありません。
 もちろん、武道館のライヴにも出掛けましたし、その後発売された「Live In Japan」のジャケットにも私が写ってしまっています(爆)。
(←この件に関しましてはこちらを参照ください)当然の事ながら、それまで発売されていたレコードは殆ど購入していました。
 ところが、この「Live In Japan」を最後に「私の中のディープパープル」は消滅してしまうのです。・・何故かは解りませんが、ディープパープルは…私にとって流行病のようなものだったのかも知れません。

・・話が逸れてしまいました。

 その日の演奏曲「Lazy」でK林Yくんは、店内に置かれた何の変哲も無いエレクトーンを駆使して、ジョンロードの音を見事に再現してしまい、観客のみならず演奏者の度肝をも抜いてしまいました。中でも、寸分違わぬイントロとソロ部分は圧巻でした。
 確か、この日の演奏をカセットテープに録音してあったのですが、残念ながら今これが発見できずにいます。もし今後このテープが見つかったなら、MP3に変換し、このサイトにアップしようか…とも考えていますが、見つかるかな〜?

 それにしてもお気付きかも知れませんが、私には何故に頭文字「K」の友人が多いのでしょう?

 このコーナーで何度も紹介している同級生のK藤くんを筆頭に、「ギターアンプ貸してくれない?」のK添さん、ロックバンドLSDを一緒に組んだギタリストのK原くん…それに今回の2人のK林くん…と私自身頭がこんがらがってしまうほどです。

(2006.2/28)


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