ブルースバンド


 前の3頁とは、少しばかり年代的に前後してしまいますが、高校1年の晩夏のある日、このコーナーではお馴染みのK藤くんが、買ったばかりのグレコのレスポールモデルを引っ提げて突然訪れて来ました。しかも、彼にしては珍しくいつになく低調な姿勢で…。

どうしたん?

私が尋ねると、後ろ手に隠し持っていたギターと小さな紙袋を出して

あのさぁ〜、手先が器用なところでお願いがあるんだけど…
お〜! ついに買ったんだ〜! スンゴいじゃん!

 高校初の夏休みを、辛い肉体労働(土方)のバイトに終始させた彼は、そのバイト代をはたいて念願のこのギターを購入したのでした。

…で、お願いって?
じつは…

買ったばかりのこのギターに、彼は「細工」をして欲しいと言うのです。いったい何の細工なのか…と言えば、ギターのヘッドにある「Greco」のロゴを

Gibsonにして欲しい…」

だったのでした。『え〜?まさか、それって改造?偽造?』

え〜?! そんな新品のギターに??
いや、もう弾いたから新品ぢゃ〜ないよ
「だって、この文字ってさぁ、貝が埋め込まれてるじゃん」
「別に書き換えるだけで良いんだ。ほら、この…」

と言って、小さな紙袋から銀のエナメルと筆、それに薄め液を出して見せ

「遠くから見て解らなきゃ良いからさぁ〜」

用意周到な彼の熱意?に断りきれず、ついつい引き受けてしまったのでした。

 夏の終わりとは言え、まだシッカリ暑さが残る中、汗を垂らしながらロゴの修正(偽造?…苦笑)を行い、何とか仕上がったのが翌日の事でした。
#まぁ、これが仮に法に触れていたとしても、きっともう時効です…よね?

 電話で「これから持ってくから」と手短に伝え、早速チャリで担いで行くと(高校時代、私の足の殆どはチャリでした…笑)

いや〜流石だねぇ〜! バッチリぢゃん!

大喜びでギターを受け取り、彼は慌てて部屋に駆け上がって行きました。
 その慌てぶりが何となく気になった私は、小首を傾げながら部屋に上がると、彼の部屋では[想像を絶する光景]が展開されていたのでした!

どうだい、これがギブソンのレスポールさっ!

そこには、彼の部屋に上がる事が許されず、縁側から身体を乗り出して

もう少し近くで見せて下さいよ〜

と覗き込もうとしている1学年年下の2人と

ダメ! お前たちが近づくとギブソンが汚(けが)れるからっ!

とか言いながら、得意満面となっているK藤くんの姿がありました。
 呆然と私が見守る中、K藤くんは“ケラケラ”笑いながら、尚も

はいはい、3メートル以上離れて〜!
 こらっこらっ! 近付いちゃダメだっての!

 この時、庭にいて部屋に上がらせてもらえなかった2人の内1人が、後に「ミンク」というバンドのギタリストになるO沢くんで、もう1人が、この約1年後に私とK藤くんと3人でバンドを組む事になるM島くんでした。

 前置きが長くなってしまいましたが、こうして、3ピースのブルースバンド“Mississippi Road Blues Band”が高校2年の夏頃に結成されたのでした。そうそう、バンド名は当初無かったのですが、当時まだ上土にあったコイケ楽器の前で行われた、何かのイベント時に演奏した折、彼の「West Road Blues Band」に因んで命名されました。

 バンド活動としては、当時松本で行われていたコンサートの類いには、厚生文化会館で行われていた月例コンサートを除いて殆ど出演していましたっけ。
 そんな中、結成間もない我等に、明科神社での営業の話が舞い込んできました。依頼はどこから来たのか、さすがに今となってはもう覚えていませんが、神社の客集めのための花火的役目だったのでしょう。関係者の方からは

出来るだけ大きな音で演奏して下さい

と頼まれたのです。
 んな訳ですから、実際演奏する時間帯はテキ屋さんたちが店の準備をしている真っ最中。観客は愚か

うるせぇ〜!とかやめろ〜っ!

とかの罵声の飛び交う中、まさに敵地での演奏さながら…でした。

 それでもK藤くんなどは、罵声も意に介さず、ヤカンに入ったお神酒をそのまま注ぎ口から呑み続け、フラフラしながらギターを弾いてましたっけ。ところが、業を煮やしたテキ屋さんの一人が、あろう事かステージに駆け上り、K藤くんを蹴飛ばしたのです。
 これには、さすがの私もビックリしました。けれどもK藤くんは、その蹴りでブッ倒れたにもかかわらず、そのまま尚も弾き続けていたのでした(爆)。

 その後、何度か3人でスレージに立ったものの

やっぱ、ヴォーカルが居なきゃ〜

って事になり、M島くんと同じ学年のヴォーカリスト、F森くんを引き入れて活動する事になりました。
 ところが、F森くんは歌は上手いものの、甘すぎる声質と服装のセンスの悪さ(苦笑)がバンドになかなか馴染まず、苦労する事に…。
 何しろ、その甘い歌声は「ホワイトクリスマス」を歌わせれば“パット・ブーン”張りで、パットF森の異名をとる程でしたし、また、服装は赤いタータンチェックのブレザーといった出で立ちで、観客だけでなくメンバーをも仰天させたんですから。。。

 しかし、じつにこの頃、先の“生バンド演奏”のページでご紹介した「花ことば」に、このメンバーで定期的に出演することになりました。出演交渉は私が直談判し

ノーギャラだが食事は出すよ

という好条件を得ました。
 これは、当時アパート暮らしでひもじい思いをしていた私にとって、最高の契約内容?でした。

▲'73年夏に蚕糸公園で行われた“第1回 野外ロックフェスティバル”に出演した時の私です。Tシャツの柄と眼鏡に時代を感じますね。^^;)

 それからと言うもの、食うに困れば出演…と言った日々が続きました(←ウソです(笑))。実際には、確か週に1度ほど曜日を決めて演奏していました。
 ただ、私たちの演奏の所為なのか、お客さんは余り入ってなかったですね。まぁ、お客さんが少なければ、演奏も練習っぽくなって、私たちにとっては有り難かったんですけど、中には

ブルース演ってくれっ♪

って、リクエストをして来る奇特なお客さんもいらっしゃいました。ただ…このブルース、淡谷のり子とかの歌謡ブルースでしたけど(苦笑)。

 1973年には、コイケ楽器が主催して行った“第1回野外ロックコンサート”に出演し、今までの「ブルース一辺倒」から、フリーの“Be My Friend”のような聴かせる曲も演奏したりして、観客の度肝を抜きました。ってホントかよ(笑)。
 この“野外コンサート”は、そのまま現在の“アルプス公園 野外ロックフェスティバル”へと脈々と受け継がれて行く訳でして、当時、コイケ楽器に勤め始めたばかりのK條さん
(現:JUKE社長)が企画したものでした。

 しかしこのバンドも、高校生活が終わると同時に自然と解散になってしまいました。いわゆるナチュラルエンドってやつです。

(2005.11/17)


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