高校時代の3人<その3>


 さて3人目は、当時M工の3ピースバンド「A Day In The Life」でドラムを叩いていた○尾くんです。

 このバンド名は、もちろんビートルズのソレから取ったものですが、リーダーのO勝くんが

「今度こんなバンド名にしたんですよね!良いっしょ!」

と、わざわざ教えてくれたのに『何だか長いバンド名だな〜』と、返事もそこそこにしてしまったので良く覚えていたりします。
 けれども、このバンド、それまで何処かに出演するたびにバンド名が変わっていましたから、結局皆“O勝バンド”って呼んでました(笑)。

 このO勝バンド、母校M工の学園祭で演奏中に、グヤトーンのベースアンプから火が出て演奏を中断した…といった逸話が残っているほど、当時爆音で有名?なバンドでした。ベースは後にモノホンのSGベースを手に入れたS藤くんでしたっけ。

 その○尾くんですが、私と同じ年齢で、同じような音楽を聴いていたため話が良く合い、一時期は私のアパートに3日に空けず訪れては深夜遅くまで長話していたものです。
 また、彼のドラミングは、私のソレと違って「姑息な手段」を用いることのないダイナミックなもので、当時、そのダイナミックさに欠けていた私にとって、それは大いなる師であり脅威でもありました。
 そんな○尾くんと話すことと言えば、決まって「ここんトコのドラムはどう演ってんだ?」とか「きっと、こう叩いてるんだぜ!」とか言った、探究心丸出しの会話でした。何度も、レコードの同じ曲の同じ場所に針を落として。。

 彼が、あの6半のスーパーセンシティブを手に入れたのは、私と会ってから半年ほど後だったでしょうか。それまで「欲しい!」とは言っていたものの、まさかホントに買ってしまうとは思っても見なかったので、私は思いっきり“ブッ飛び”ました!

 当時、スーパーセンシティブと言えば、名だたるロックドラマーが愛用していた名器中の名器で、ラディックのメタルスネアの最高峰。ですから、値段も半端ぢゃありません。確か当時の価格で11万8千円もしたと記憶しています。

 その頃は“メタルスネア最盛期”。皆こぞってメタルスネアを使用していましたっけ。けれども、天の邪鬼な私は『やっぱスネアは木胴でしょ!』と言いながら、バレンシアに付属してきた最低級のメタルスネアで我慢していました(苦笑)。

 スーパーセンシティブを手に入れた○尾くんは、そのスネアの音も相まって、それまで以上にダイナミックなドラミングに磨きがかかり、当時“松本一”輝いたドラマーでした。。。
 けれども、それから数年後、彼は愛用のバイク“バンバン”に乗っていて交通事故に遭い、敢えなく短い一生を終える事となってしまうのでした。

 その訃報を知らされたのは、私が板橋のアパートに住んでいた20才前後の頃でした。まだ若かった私は、○尾くんの死がどうしても信じられず、葬儀にも仏前にも顔を出す事はありませんでした。

(2005.9/9)


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