高校時代の3人<その2>


 2人目にご紹介するのはマサオ氏です。おっと、M雄とかしないの?って言われそうですが、これは実のところ本名ではなく、自らが付けたセカンドネームのようなものでした。けれども、当時の彼を少しでも知る者にとってみれば、この「マサオ」だけで誰なのかハッキリ解ってしまいますが…。

 さて、その氏は私より2つ年上なのにMヶ丘高校では同学年でした。これは別に留年したから…という訳ではなく、先のK添さんと同様に学生運動をして、こちらは愛知から松本に流れて来た…からだったのです。ただ、K添さんと違ったのは、学生運動への関わり方と、転入ではなく新たに入学という形をとった点でした。

 その2人が一緒になろうものなら、かたや民生のK添さんと、かたや急進的なマサオ氏とが熱弁を戦わせる羽目に。そんな場面に、私も何度か遭遇しました。

 では、急進的で、どちらかと言うと危険分子であったマサオ氏が、なぜ公立高校に通う事ができたのかと言えば、氏は過去が露になってしまう“転入”といった形をとらず、新たに“入学”という形をとったから…に外ありません…たぶん。。。K添さんも、自分が転入してしまった事を悔やんでいました。

 それにしても、私の周りに学生運動で流れて来た人が2人も居たとは、今になって思い返してみても不思議な事です。ただ、当時は学生運動が盛んに?行われていた時期で、特に都会では大学が多くある分、その運動も活発で、高校生にまで及んでいたようです。
 我がMヶ丘高校に隣接する信州大学でも、都会から少々遅れてですが学生運動は起っていました。…あの灰色でガラス部を網で覆ったバスが、一時期は毎日のように、我が校と信大との間の道路に停まっていましたし、また、毎日の昼食を信大の学食で済ませていた私には、食事中に多くの反体制ビラが手渡しされ…たりしてましたから。

さて音楽の話をしましょう・・・。

 当時マサオ氏は“ジャックス”“ザ・ディラン2”“浅川マキ”等、日本の音楽を好んで聴いていました。
 特に、アルバム2枚を発表したものの、折しもGS全盛期のため評価される事も無く、あっけなく解散してしまった“ジャックス”には、随分と景仰していたようで、中でも“からっぽの世界”は私もよく聴かされましたっけ。

 ザ・ディラン2は“プカプカ”で世に知られたフォークトリオ。また、彼の寺山修司が見いだしたと言われる浅川マキは、言わずと知れたアングラシンガーで、全共闘世代に絶大な支持を得ていた…と言うから、マサオ氏が聴いていたのも頷けるというものです。

▲左からジャックス“ジャックスの世界”
 ザ・ディラン2“きのうの思い出に別れをつげるんだもの”
 浅川マキ“浅川マキの世界”

 これら日本の音楽、そう…単にロックともフォークともジャズとも言えない、それでいて何処か共通性があり、メッセージが色濃く表現された音楽…を、私は彼から聴かされたのでした。

 これは、且つてハッピーエンドが当たり前だったアメリカンシネマのような音楽しか聴いていなかった私にとって、黒いヴェールで覆われた妖しい部屋の中を垣間見る…ような不思議な衝動を伴ったのでした。
 いえいえ、上記のハッピーエンドは、勿論あの「はっぴーえんど」ではありません。けど、その「はっぴーえんど」も、良くマサオ氏の自宅で聴きましたっけ。

(2005.9/9)


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