高校時代の3人<その1>


 高校時代は私にとって「音楽時代」と言っても過言ではないほど音楽に浸りきっていました。…って、こんな事何度も書いて来たような気がしますが、気にしないで下さい。

 さて、高校2年生ともなると音楽の嗜好も、また音楽関係の仲間も増え、ある意味忙しい毎日を送ることになってしまいました。そんな訳ですから、学校の勉強など手に付く筈もなく、私は徐々に、Mヶ丘高校の優等生(入学当時はそうだったようです)から落ちこぼれへと転げ落ちることになってしまいます。

 そんな折も折、増えた音楽仲間の中でも特に、これから此処にご紹介する3人には多大な影響を受けたのでした。

 まず初めにご紹介するのは、私より1つ年上で、長めのマッシュルームカットと、スリムのジーンズがトレードマークだったK添さんです。
 氏の、このトレードマークの髪型は、何と、氏のお母さんが頭に鍋を被せてはみ出した部分をカットしていた…というから驚きです。

そのK添さんとの出会いは、
忘れもしない地元の“松電バス”での中で…でした。

 それ以前に何度か見かけた事はあったものの、全く話をするどころか、目を合わす事すらなかった氏から、バスの中でいきなり

「ギターアンプ貸してくれない?」

と話しかけられたのです。「へっ?!」さすがの私も一瞬たじろぎました(苦笑)。
 当時のロッカー
(敢えてこう言ってみたりして。勿論、ロックを演奏していた奴の意です)は、長髪にGパン+ロンドンブーツがトレードマークみたいなモンでして、何となく仲間意識みたいなものがあるにはありました。私も当時長髪にGパンでしたから、氏も「きっとバンド演ってると思った」んだそうです。が、それにしても面識のない人間に、いきなり「アンプ貸して」は無いですよね。
 氏との出会いは、こんな妙な形で始まったのでした。

 ところが、話しているうちに、氏とは住んでいる家も案外近く、我が家の場所を話すと「何ぁ〜んだ、コッチぢゃ聞き慣れない音楽が掛かってるあの家かぁ!」と言われ、チョッとばかり鼻高々(笑)。
 確かに我が家…いえ私の部屋では、ブラックサバスやフーやフリーなど、当時の松本ではレコード屋にすら置いてない音楽を、大音響で掛けていましたから。

 そんな訳で「アンプ貸して」から始まったK添さんとの付き合いは、それから数十年間続く事になります。

 高校時代、氏とは結局一度もバンドは組まなかったのですが、ちょくちょく互いの家を行ったり来たりしては、音楽話やら何やらに花を咲かせていました。
 しかし不思議な人でしたね〜K添さんは。

 ある日、氏の家を訪れた時の事。玄関先で呼んでも返事はするものの顔を出さないので、勝手に部屋へ上がってみました。すると、氏がギター片手に胡座をかいた右足で畳の床を“ドシドシ”叩いていたんです。
「どうしたんです?」と聞くと「早送りは簡単なんだけど、戻すのが難しいんだよな〜」とブツブツ。
 曲の音取りをレコード音源から行っていた
(当時はカセットテープが登場したばかりで、皆ほとんどレコードから直に音取りをしていました)氏は、プレーヤーのアームを戻す“床の叩き方”を練習していたのでした。絶句している私を他所に「さっきまで何回か出来たんだぜ!」と、懲りる事なく何度も床を“ドシドシ”やっていました。

 そう、じつはこのK添さん、ギタリストだったのです。ですが、何故か高校時代はギターを弾いている姿をステージで見かけた事がなく、いつもベースを弾いていましたっけ。
 そんなK添さんの口癖は「もうあんな学校行くの嫌だ!」でした。あいや、コレって口癖と言えるかどうか解りませんが、東京で学生運動をしていて松本に流れて来た氏は、県立高校への転入が許されず、止むなくあのT原高校に転入したのでした。T原高校は、その後何度も校名を変え、一時は存続の危機にもなった…あの私立校です。…と言えば解っちゃうかな?

 もともと頭の良い氏が、そのT原高校に通うのにも問題があったでしょうが、その頃、T原には不良も多くいたようで、3年になるまで良くいぢめられていたそうです。
 氏の口癖はそこから来ていた訳ですが、逆に、T原高校を卒業しただけでは就職も侭ならないのも解っていて、後に見事、東京の大学に進学する事を得ました。
 その約1年後、私が氏の元へ転がり込む事になろうとは、まだ氏も私も予想だにしませんでした。

(2005.9/9)


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