生バンド演奏


 1960年代後半から70年にかけての「この時代」は、洋楽…ことにロックに関して「なくてはならない時代」だったようです。この辺りは、前に「マイランキング」の項で書きましたが、私が当時生活していた松本で、音楽に関していったいどんな事が起き、どんな店があったのか…を、この項で少々書いてみる事にします。

 今でこそ、多くのアマチュアバンドが「ライヴハウス」という場を借りて、友人や一般のお客さんに自分たちをアピールする事ができますが、当時、松本には「そういった場所」は皆無の状態でした。
 大都会へ行けば、当時「ゴーゴーホール」「ゴーゴー喫茶」などと呼ばれた
(古ぅ〜っ!)…ライヴハウスの前身のような店があるにはあったのですが、残念ながら、まだアマチュアバンドが出演できるような店ではありませんでした。例えば、東京新宿のアシベホールやサンダーバード、ムゲンなどがその老舗だったと思います。

 松本では、その「ゴーゴー云々」もありませんでしたし、上手いバンドやミュージシャンが、クラブやスナック等に専属で出演し、店側も、それを「生バンド出演」として売りにしていた時代です。
 その当時、そんな店が松本に何件あったか…はハッキリ解りませんが、私の知っている限りでは、巾上のガード西のビルの2階にあったスナック「花ことば」と、ナワテ通りのみどり横町角にあったスナック「コメット」、あと開智橋南の衣料品コタケ隣にあったクラブ「白夜」くらいでしょうか。

 ちょうど何枚か、当時のマッチのレッテルが残っていますので、それを交えながら話を進めて行きましょう。

 「花ことば」は、今考えても意外と広い店内で、K久保さん兄弟率いるトーストというバンドが当時専属で出演していたそうです。そうです…と言うのは、私がその頃、店に入って見た訳ではなく、後々(私が高校3年生の頃)バンドとしてこの「花ことば」に専属出演することになり、その時にオーナーから伺ったから…なのです。
 私が出演した頃の話は、またいずれ別の機会に書くとして、このトーストというバンドは、この「花ことば」を足掛かりにして、同店で合宿なども行い、東京進出を目論んでいたそうですが、その後、見事東京へのバンド進出を果たしたそうです(結果のほどは知りませんけど…笑)。その上京直前と思われる時期に、彼等の演奏を一度だけ目にする機会がありました。
 それは、六九商店街の西外れに当時あったガレージ風の倉庫か何かで、この「つれずれなるままに」には何度も登場しているK藤氏と共に訪れたのであります。
 薄暗い中に、建物の隙間から差し込む何本もの斜光が、塵と埃と音に細長く踊っていたのを良く覚えていますが、演奏していた曲等は殆ど覚えていません(苦笑)。
 もしかすると、これが私にとって初めて見た生演奏だったのかも…。ただ、初体験だったわりには、演奏曲を覚えていない…ってのが残念です。

 「コメット」には、私の母がみどり横町で店を持っていた関係で何度か訪れた事がありました。ただし、開店前のリハーサル中か何かに…でしたけど。そう、高校生になったばかりの私が、客として一人でスナックに入る訳にはいきませんから…(苦笑)。
 ここで演奏していたのは、確か、ショックと言うバンドの前身
(ショックそのものだったのかも知れませんが…)だったと思います。メンバーの方々が、その後何度か見かけたショックのメンバーでしたので。メンバーの名前ですか? 残念ながら、その場で少しばかりドラムの手ほどきをして下さったドラマーの方の名前すら忘れてしまいまして、ギターのS藤さん(だったかな?)しか覚えていません。

 「白夜」は、当時松本でも有名な高級クラブでしたので、高校生の私にとって、中に入るのは愚か、夜、店の前を通ることすら憚れるようなお店でした。何しろ、怖そうな黒服のお兄さん達が店の前に居ましたから。。A^^;)汗
 ただ「白夜」で演奏していた方とは、後々になってひょんな事から知り合う事になり、当時の模様などを伺いました。とは言っても、それすら、もう20年も前のことですので、すっかり忘れてしまいましたが。。

 そうそう、昔、松本駅前通りに粋な音楽が流れている「アラ!」という、バーのような店がありまして、その店が、今のタイトーアミューズメントプラザ(平田)付近に「アラ&アラ」と言うバンド生演奏の店を、私が高校2年生の頃だったか出店しましたっけ。
 林友のカナディアンシーダーハウスっぽい楕円屋根の建物で、2階建てでした。その吹き抜け部分に、宙吊り状態のような形で無理矢理?ステージが設置され、演奏者は縄梯子でステージに昇ったような。
 当時高校生だった私は、残念ながらチャリしか足がなかった為、この平田の店までは2度ほどしか行くことがありませんでしたが、何となく今思い出すと、この「アラ&アラ」はアマチュアバンドが出演できる店だったようです。
※マッチのレッテルにも「生バンド」の文字があるのがお解りいただけますか?

 以上、いい加減な記憶で申し訳ありませんが、私が記憶している生演奏の店でした。

 その他、ロック喫茶と呼ばれた「コミューン」が、先にご紹介した「白夜」の女鳥羽川を挟んだ北側角に、黄色い建物としてありました。
 アメリカ帰りだという長髪の兄さんがやっていた店で、1階はカウンターのみで、2階は小学校とかで使っていた机と椅子が並べられていましたっけ。狭い店内にロックが谺し、聞き慣れないアルバムがかかると、1階のカウンター上に置かれたレコードジャケットを見に、何度も狭い階段を上り下りしたものです。

 また、みどり町には「アミ」というジャズ喫茶がありました。ジャズだけでなく、当時からロックもかかっていたのでしょうが、残念ながら、この頃の「アミ」には2・3度しか行っていないので、店内が黒一色で暗かった…ことだけしか覚えていません(苦笑)。
 で、私が高校2年の頃だったと思いますが、この「アミ」は店内を改装して1・2階とも床に直接座る店になり、店名も「祇園精舎」となってロック色が濃い店になりました。ベニヤ板にはめ込まれたスピーカーと、黄・燈2色のビニール製座布団、それに安い玄米定食が売り?でした。
 じつは私「祇園精舎」へは毎日のように通ったんですね。と言うのも、当時アパート暮らしだった私は、毎月の送金日後の2・3日を除いて、ほぼ「貧乏暮らし」状態でして、此処の150円の玄米定食には随分助けられましたっけ。
 ところが、私が高校3年生の終わり頃だったか、何故か、店名がまたまた「アミ」に戻ってしまいました。f^^;)

 あと、今も健在のジャズ喫茶「エオンタ」が開店したのも、私が高校3年生の頃ですので、当時の松本の町には、人口の割に音楽関係の店が多かったように思います。

 そんな当時の松本で、アマチュアバンドの演奏を誰もが気軽に見られる…聴けるイベントが、今の四柱神社境内にあった厚生文化会館で毎月行われていたコンサートでした。とは言うものの、当初出演していたバンドは、マウンテンの完コピを売りにしていた?前記の「ショック(またはスーパーショック)」くらいでしたけど。。。
 でもこれが、良い刺激であり、また良い勉強にもなったんですよね。

(2005.11/14)


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