ドラムが我が家にやって来た!


約束どおり、我が家にドラムセットが運ばれて来ました。
▲'68年製のパールのバレンシアです。カバリングの色こそ違いますが、スタンド類やシンバルも全くこのとおりでした。

 誕生日は正月2日なのに、その前の年末の事だったような。。運び込まれたのは、パールのバレンシアという最も安いセット(確か当時38,000円ほど)でしたが、白パールのカバーリングで、ピカピカのシンバルが眩しかったのを、まるで昨日の事のように思い出します。
 バレンシアの写真がどうしても見つからないので、ネットで探してカバーリングの色は違いますが拝借してしまいました。
 購入先は、伊勢町通りにあったハヤシヤ楽器でした。敢えて「…あった」と書いたのは、ご存知のように、残念ながらもう既に閉店してしまっているからです。

 私が通っていた当時、ハヤシヤ楽器は伊勢町通りの駅寄りの北側にありました。今は、伊勢町通りも様変わりしてしまった為、正確な場所を「此処だった」とは言えませんが、多分、今のMウィングの辺りだったと思います。間口が3間ほどで、他の店同様、奥に長い店の作りでしたね。
 店内の最奥が一段下がっていて、そこに重厚な応接セットが置かれ、いつも体型の異なる3人のオジさん達が、タバコを吸いながら睨みを利かせていましたっけ。そう、いつも奥がタバコの煙で霞んでいたのを思い出します。
 どちらかと言うと、管楽器が専門の楽器店だったように思いますが、あんなに店内が霞むほどタバコ吸ってて良かったんでしょうかね?

 そう言えば当時、紅一点の女性店員の方がいらっしゃいました。名前はもう忘れてしまいましたが、いつもジーンズ姿で、化粧っけもなく、それでいて不思議な魅力を持った店員さんでしたっけ。じつは私、叶わぬ恋心を抱いていたんですよね…この店員さんに。。f^^;)

 さてそこで、店の方から「先生に付いて習った方が良いんじゃない?」と勧められ、紹介していただいたのがY田さんでした。Y田さんは当時、泣く子も黙る松本きってのドラマーで、身体のハンデなどモノともせず、意欲的に活動なさっていた方でした。ところが、早速電話で問い合わせたところ、その返答は「俺は弟子は持たねえ主義だから!」だったのです。
 この電話でのやり取りは、今でもY田師匠(今ではれっきとした師匠です)との間で持ち上がります。
オイラ、そんな失礼な受け答えしたっけか?
と言われると、もうかれこれ30数年も前の事ゆえ、私も電話したのかどうか…すら怪しくなる程、その頃の記憶は定かではありません。
 けれども、その後『だったら自力で頑張ってやろう!』と強く胸に誓った事を併せ考えると、やっぱり当時、Y田師匠からは電話で「キッパリ」断られたんでしょうね(笑)。た・ぶ・ん。。

 さて、自力で頑張る…にしても、今までのような手作りスティックで、ドラムに向かって自己流の練習を続ける訳には行きません。そこで、まずは教則本なる物を購入する事にしました。
 とは言え当時は、現在のように楽器店に入ると“楽譜や教則本の壁”を見ることは無かったので、教則本探しは大変でした。しかも、ロックドラムの教則本は皆無の状態でしたから。
 探しに探して、最終的に手にしたのが、今は亡き「ジョージ川口」大先生の教則本でした。

 題名は「ドラムの叩き方」だったか、「はじめてのドラム」だったのか、今では全く覚えていません(笑)。けれども、ドラムに向かう姿勢、スティックの持ち方や叩き方等、白黒写真で細かく解説されていて、初心者の私には有り難い教則本でした。
 ただ、実際譜面に合わせて叩く場合の注釈に

いち..とう..にぃ..とう..さん..とう..しぃ..とう..

と音符を読むように書かれていたのには、さすがに大笑いしてしまいました。だってそうでしょう?それはまるで“お経”のような妙チクリンな節回し(?)ですもんね。
 初心者の私は、まさか、この“お経”が、オンビート(ダウンビート)とアップビートとを解りやすく解説していたのだ…とは、思いもよらなかったのです。。

(2004.9/8)


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