ギター小僧


中学に進学した私は、洋楽の洪水の渦中に放り込まれる事になります。

 私が12〜15才の頃ですから1967〜70年頃に当たる訳で、特に、その後私自身が傾向することになる「ロックミュージック」にとって、後世に語り継がれる重大な事柄の多かった時期でもあります。例えば…
 '67年には、ドアーズが「Light My Fire/ハートに火をつけて」でデビューし、'68年にヘヴィメタルの元祖「レッド・ツェッペリン」がデビュー。'69年には、あのロックの大祭典“ウッドストック”が行われ、'70年には20世紀を代表するバンド「ザ・ビートルズ」が解散…と、ほんの数例を挙げただけでも、激動の3〜4年間だった事が解っていただけるでしょう。

 この時代は、社会全体がある種のムーブメントによって動かされていた時代でもあります。たぶん、ベトナム戦争の泥沼化…が原因なのでしょうが、若者はフラワームーブメントから、より排他的?なヒッピーに移って行きましたし、映画の世界も「俺たちに明日はない」や「卒業」に代表される“アメリカンニューシネマ”が台頭して来ました。音楽の世界も、リバプールサウンドから新たな音楽“ニューロック”に向かい始めた時代でした。
 そのような時代に、最も感受性豊かな年代を迎えられた事を、まず感謝しなければなりません。
そう、私たちの年代はロックの発生から進化を身をもって体感しているのですから!

 ある日、中学の同級生…仮にK藤氏としておきます…に呼び出され、K藤氏の自宅にお邪魔しました。そこで聴かされた音楽(と言うより音)に、私は強い衝撃を受けます。それはブルーチアーの「サマータイムブルース」であり、クリームの「サンシャイン・オブユアラブ」でした。

「こっ、こんな音楽があって良いのだろうかっ!」

あまりの音圧と、初めて聴くアドリブの未知なサウンドに、私はただただ呆然とするばかりだったのです。
 私はこのK藤氏によって新しい音楽に開花させられ、それがロックだと知らされました。同時に「この日」は、後の私の人生を大きく左右する日となってしまったのです。

 私はさっそく、エレキギターなる楽器を購入しました。東海楽器のハミングバードと言うソリッドギター(写真)で、友人のT沢氏から2千円で購入しました。
 モズライトとストラットキャスターを足して2で割ったような(写真を見ると、そうでもないですね)刺々しく不格好なギターで、音も思いっきりショボかったのですが、案外弾きやすく、初心者の私には持って来いのギターでした。
 そのギターを抱え、K藤氏宅へ毎晩のように自転車で押し掛けては、ギターのフレーズを2人して考案していました。フレーズ…そう、何故かブルースのアドリブを飽きる事無く弾き続けていましたっけ。

 K藤氏は中学生のこの頃からブルースなる音楽に傾向していて「ロックの基本はブルースだ!」が彼の持論でした。当時、某Aヶ丘高校でドラムを叩いていた彼のお兄さんや、その取り巻きの影響も多大にあったのでしょうが、彼は音楽面で私よりずいぶん早熟だった…と当時強く感じたものです。まぁ、この早熟さが、当時の私にとっては魅力でもあり、影響を与えられた訳ですけど。。

さて、このフレーズ研究会(?笑)は、いつ頃始まり、いつまで続いたのでしょう?

 30年以上経過した今となっては、数日のようにも思え、また数ヶ月にも及んだようにも思えます。K藤氏のお父さんが自ら建てたと言う「ブロック造りの離れ」で、寒さに耐えながら、ひたすら弾いていた覚えがありますから、たぶん中学1年の冬の出来事だったのでしょう。時には、前述のお兄さんに「なにロックンロールなんか弾いてんだぁ?」とか馬鹿にされながら(笑)。

さてさて、そろそろ私がドラムを叩き始める時期が近づいて来ました!

(2004.9/7)


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