親譲り


 いつだったか、母が「昔、母さんはジャズシンガーだったんだよ!」と、突然告白した事がありました。そう、たぶん私が小学校3・4年生の頃だったと思います。
「まっさか〜!」
 ジャズという言葉の意味自体ほとんど知らなかった幼い私でも、「ジャズシンガー」という何となく「格好良い歌手」かな?…との連想はできました。けれども、まさかそんな「格好良い歌手」を母が演っていた…とは、到底思いもよらず、そんな母の言葉を相手にもしなかったのです。
 すると、母はタンスの奥から古びたアルバムを出してきて
「これが、母さんさっ!」
得意げに説明してましたっけ。

 母に示されたその写真には、確かに“純白のドレスをまとったステージ写真”が何枚かあった…と、昔の事ではありますがシッカリ覚えています。さも頑丈そうなステージに、フルバンドを従えて歌っていた母の写真は、決して、お祭りでの1コマや、コンクールの類いではありませんでした。けれども、私はそれらの写真より、不思議な1枚の写真に眼が向いていたのです。
 それはモノクロ写真に彩色が施された、何とも不思議な写真で、当時何と呼ばれていたかは知りませんが、カラー時代以前の苦肉の策だったんでしょう。じつに絵画的な趣があり、それでいて写真なのですから。。
 そんな不思議さと相まって、真緑の芝生にロングスカートを円形に広げて佇む、その「母の写真」には、息子である私でも眼を奪われたものです(苦笑)。まるで、映画女優のブロマイドのようでした。

 当時、映画の世界でもモノクロからカラーに変わりつつある時代で、世間一般では、カラーの事を「総天然色」とか呼んでいた時代です。モスラ対ゴジラも“総天然色”の映画だったような。。
 残念ながら、今となってはその写真…いや母のアルバム自体…が行方知れずになってしまっている有様ですので、その写真をお見せする事も出来ませんが。。。

 さて、その“純白のドレス…”写真の時代は、江利チエミや雪村いづみ等のシンガーが活躍していた頃ですから、ジャズとは言っても、今思えばポップスとかラテンとかだったんでしょうね。けれど演歌や民謡、童謡の類いではなくて、当時のニューウェーブ的な音楽だった訳ですから、どうやら母も、その時代の最先端を突っ走っていたようです(笑)。
 そんな母を持つ私ですから、知らず知らずのうちに音楽…それも洋楽…に興味を持ったのも頷けるでしょう。小学校高学年の頃には、本気で「歌手になるんだ!」などと、自らの胸の内だけで息巻いました。あっと、これって息巻いてるとは言わないですね。

 当時聴いていた音楽は、母が購入していたアンディウィリアムスあたりでした。今では考えられないほどチャチなポータブルプレーヤーに耳を近づけて聞き入っていましたっけ。
 ところが、中学に進学すると、急激に低下した視力を補うため、メガネを掛ける事を余儀なくされます。そこで、当時眼鏡を掛けた歌手が少なかった事から、歌手になる事をいともアッサリ諦め、その後はもっぱら音楽及び映画鑑賞に勤しんでおりました。まぁ、映画鑑賞と言っても、テレビで放映された映画を観ていただけでしたけど。。

 当時、テレビでは、まだ「ゴールデン洋画劇場」とかは放送開始されていなかったと思いますね。そのかわり、深夜に洋画が数多く放映されていました。ほとんど1950〜60年代の白黒映画で、ジョン・ウェインが出演して人気を博していたウェスタン映画や、アメリカンドリームもの、そしてミュージカル映画などです。
 ミュージカルは母に勧められるままに観ていたものが、いつの間にやら自ら進んで観るようになり、中でも彼の大女優ジュディー・ガーランドが出演していたミュージカル映画は、随分と観ましたっけ。古い話なので、あまり題名までは覚えていないのですが「スター誕生」や「オズの魔法使い」は何故か覚えています。

 ジュディー・ガーランド、彼女は決して美人女優の類いではなかったと思います。ですが、その歌の上手さと可愛さ、また、時折見せるセクシーさが若かった私を魅了し、一時は恋い焦がれてしまうほどでした。
 俳優を好きになる…なぁ〜んてのは、今も昔も変わらないとは思うのですが、当時は庶民と俳優との距離が今と全く違っていました。特に外国の女優など高嶺の花どころか、一生会う事も出来ないほど遠い存在だった訳ですから。

 まぁ、そんな青臭い恋物語はいいとして、今考えると、当時ミュージカル映画を観ることによって、私は音楽の楽しさと音楽のある喜び、そして…音楽の楽しみ方…を教わったのでした。
 因みに、ジュディー・ガーランドの娘の一人が、かの「キャバレー」で主演したライザ・ミネリですが、歌の上手さは、まさに母親譲りですね。…となると、その後、私が音楽にのめり込んで行ってしまうのも、母親譲りなのかも知れません。

 え? なぜ父親譲りじゃないのか…ですって? だって、父の好きだった音楽(と呼べるかどうかは判りませんが)は浪花節だったんですから。。。

(2004.9/1)


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