温泉寺 多宝塔
名 称 温泉寺(おんせんじ)
指 定 指定なし 指定日
所在地 諏訪市湯の脇1-21-1(goo地図
建立年 近代 昭和53年(1978)
高 さ ??m 床 面 一辺4.47m
相 輪 鋳鉄製 屋 根 柿(こけら)葺
備 考 県内唯一の多宝塔。
その他 経蔵、三門、本堂の能舞台遺構は共に市の有形文化財に、指月庵庭園(旧温泉寺隠寮庭園)は市の名勝に、境内のシダレザクラは市の天然記念物に指定されています。
▲多宝塔 正面(南面)
ISO:64 f:5.6 SS:1/20(マニュアル)

 温泉寺は臨済宗妙心寺の末寺で、高島藩の二代藩主・諏訪忠恒によって寛永17年(1640)年に創建された寺院です。
 多宝塔は昭和53年(1978)の建立で本堂裏の墓所前に在り、近代建造の塔ではあっても、一辺4.47mの純和様木造大型塔で、見ただけでは古塔と言われても解らないほど良く出来ています。

 この多宝塔には、明治の神仏分離によって行き場のなくなった諏訪大社上社神宮寺の「鉄塔」が安置されています。
 鉄塔は当初、弘法大師が建立したものだったようですが、現在安置されている鉄塔は、寛永8年(1632)高嶋藩二代藩主の諏訪忠恒によって「石」で再造されたものと言われていますから「鉄塔」と呼ぶよりは「石塔」と呼んだ方が良いような気がします。因みに鉄塔の高さは2メートルほどです。

▲多宝塔(西面)
ISO:64 f:5.6 SS:1/13(マニュアル)
▲枝垂桜と多宝塔
ISO:64 f:5.6 SS:1/20(マニュアル)

▲多宝塔
ISO:64 f:5.6 SS:1/13(マニュアル)
▲多宝塔と諏訪湖を望む
ISO:64 f:5.6 SS:1/40(マニュアル)

守屋貞治(もりやさだじ:1765〜1832)
 高遠の石工。形式化された作品の中にも個性的な作風が溢れ、名工と呼ばれています。当時の温泉寺住職であった願王(がんのう)和尚を師と仰ぎ、彫刻技術を磨くとともに、温泉寺では雲水として仏道修行に励んだと伝えられ、貞治の石仏は右の「三十三体の観音」の他にも地蔵尊、墓地(蔵六首座の墓)等、数多く残されています。

 温泉寺には、上記の「鉄塔」以外にも数々の歴史遺産が残されています。まず、客殿に県宝として飾られている梵鐘は、天正10年(1582)武田討伐に向かう織田信忠の軍が、伊那郡市田村(現高森町下市田)の安養寺から略奪して、上之諏訪(神宮寺)まで引きずって来て捨てたものと言われ、それを温泉寺創立にあたって流用したと伝えられています。
 明治2年には温泉寺が火災で全焼してしまったため、高島城の大手門を三門に、また同城中の能舞台を本堂として移築したと言われています。
 この三門より100メートルほど下った道路脇に、三棟の覆屋の中に祀られた三十三体の観音の石仏が並んでいます。これは、高遠の石工・守屋貞治及びその弟子たちの作品です。

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