築城年代等の詳細は残されていませんが、同族有賀氏の有賀城が承久年間(1219〜22)の築城とされており、有賀四郎がこの花岡城にも居城していた史料があるようですので、ほぼ同時期に築城されたのではないかと考えられています。
花岡氏は有賀氏と共に同族の諏訪氏に属していましたが、諏訪氏が大祝頼満の時代から大祝家と惣領家とに分かれるに至り、花岡城は大祝諏訪氏の居城干沢城の支城として機能していたようです。
天文11年(1542)6月諏訪惣領家頼重を討ち、同9月安国寺門前において高遠氏を敗った武田信玄は、この花岡城を武田信繁に500の兵を与えて守らせたと言われています。ただし、この件に関しては確実な史料が無いのが現状です。
武田氏の支配が諏訪におよぶと、天文17年(1548)4月の小笠原長時の諏訪侵攻に呼応して同年7月、花岡氏も西方衆として武田支配に乱を起こしました。しかし、塩尻峠の戦いで小笠原方が大敗したため、花岡城もその時に廃城になったようです。
昭和42年3月 岡谷市教育委員会
明治41年(1908)地元青年会によって麓から道が敷かれ、大正初期には多くの桜の木が植えられ、製糸業最盛期にはずいぶんと賑やかだったようですが、今では花岡公園として整備はされているものの、桜の時期以外は訪れる人も少なく、住宅街の中にあってもひっそりとしています。昭和42年(1967)岡谷市の史跡に指定されました。
また昨年(平成18年:2006)7月19日、数日前からの大雨により、花岡公園南側の土砂が崩落。岡谷市内で8人もの犠牲者が出てしまったことは記憶に新しいところです。